社長ははたして部長より偉いのか
2017-09-20 2017-09-19
社長は偉い。何故なら社長だからだ。
しかし、本当に社長は偉いのだろうか。
社長は本当に部長より偉いのだろうか。
社長になる手段は大きく分けて二つ。会社を興すか、既にある会社に社長として雇われるか。後者は「雇われ社長」なんて呼ばれて、場合によっては揶揄されたりもする。
対して部長はどうだろうか。部長になるための道も二つ。会社で昇進して部長になるか、既にある会社に部長として雇われるか。
後者は社長の後者と同じだ。社長として雇われる人の方が、部長として雇われる人より希少な人材と言えるだろう。その意味では社長は偉い。希少な人材となるための努力を経てきたのか、そういった才能を持った希少人材であるという意味で、とても偉い。後者の社長はとても偉い。
前者はどうだろうか。会社を興すことそのものが偉いのだろうか。会社を興すというのは自分で行動するということだ。その行動力自体は称賛されても良いだろう。しかし、行動を起こすこと自体が必ず称賛されるべきもので、他のなにものにも勝るほどの功績なのだろうか。
昇進して部長となった人はどうだろうか。昇進というルートを経由している以上、その部長は必ず誰かに評価されている。会社を興した社長は誰に評価されているのだろうか。誰にも評価されなくてもなれる社長は本当に偉いのか。
「偉いの定義による」
そんなことはわかってる。「偉い」という単語を使った時点で、答えなどないのだ。ただ、私はどうしても「偉い」という単語を使いたかった。なぜなら社長は大抵偉そうだからだ。
観測範囲の問題もあるだろう。偉そうでない社長もいるだろう。しかし、社長という単語そのものに、強烈に偉そうなイメージがあるのも事実だ。部長も偉そうなイメージがあるかもしれないが、私にはむしろかわいそうなイメージすらある。部長という単語には、上位管理職でありながらも、社員からも役員からも責めたてられる中間管理職の悲哀が感じられる。
定義次第ではあるが、社長は一般的に偉そうで偉い生き物だ。同一の会社でなくとも、A社の社長とB社の部長がいたとしても、A社の社長の方がなんとなく偉い気がしてしまうし、ちやほやされやすいのはA社の社長だろう。
しかし、私は他者からの評価を得て立場を得た部長に称賛を送りたい。課長でも、マネージャーでも、リーダーでも良い。誰かから評価され、選ばれてその立場についた人達に称賛を送りたい。
社長は必ずしも誰かから選ばれるものではない。しかし、部長は必ず誰かから選ばれるのだ。